福島が壊れて行く

教育現場で、モラルハザードが起きているという。

どんなことか、って?
それは、...。

学校の先生で給食指導を拒否している人がいるらしいということ。
給食の食材に「放射性物質」が含まれているかもしれないということで、自分の家からもってきたおにぎりなどのお弁当を食べて、子供達と一緒に給食を食べないらしい。

校長以下、他の先生も咎めることができないのか、そのまま野放しになっているのでしょうか?

確かに放射性物質が多少は入っているかもしれない、でも安全なレベルでしかないはず。
もともと自然界にあるカリウムなどの放射性物質も入っている。

そんな中で進化してきた人間は、生物の中でも呼吸や放射線で傷ついた遺伝子を修復する機能が一番高度になっている。

横道にそれましたが、教師が自分で考えることをやめて、思考停止状態で、給食を子供達と一緒に食べないで、子供達になんて言い訳しているのでしょうか。

これで、子供達に色々な世の中のルールを教えられると思いますか?

先生のいうことを聞かないでしょうね、このクラスは。先生が原因となって起こる学級崩壊状態でしょう。

でも、この先生も一面では被害者。

東京電力が原発事故さえ起こさなければ、もしかしたら、よい教師人生を全う出来たかもしれない。

東京電力の原発事故さえなかったらカバーできていた、だれかにカバーしてもらっていたものがどんどん知られて行く。矛盾として吹き出し、崩壊して行く。

社会も、人間も。

放射能は、福島県内でも大抵の地域では問題にならないレベルで、健康被害が出たり、人が死んだりすることはないけれど、社会が、人間が壊れて行くことが怖い。

今、福島は、集団ヒステリー状態。

ペットボトル入り水を大量に買い求め、県外の配送業者から食物を定期的に大量に買い求める人たちの中には、自分の行動の正統性を主張するために、『福島県の食物は(栃木県、宮城県、群馬県、千葉県、茨城県の食物は)、危険だから、全部流通させるべきではない。』って主張してはばかららず、煽る。

理性的な判断ができない人たちが、社会を、人間を壊そうとしている。

一番の加害者は、外野(県外)で煽る人たち。

福島を壊して、そんなに楽しいですか?

浅薄な知識で、勝手な発言をしないでください。

福島のことは、福島で決めますから、そっとして置いてください。

そんな人たちよりも、なん倍もの、多数の応援してくれる人たちには感謝しています。

ありがとうございます。

福島の現状


遠くの方、特に東京よりも西側(南側?)の人たちは、実感ないかもしれません。

福島市のお米から基準越えのセシウムが検出されたとか、遠くは九州、沖縄まで自主避難している人がいるとか、毎日、政府の色々な基準が出されているいることとか、はるか彼方の土地のことを実感なくテレビや新聞で眺めていることでしょう。

実際は、原発立地町村である大熊町、双葉町、その近くの飯舘村など、その周辺の一部の市町村以外は、個人的には、避難が必要なの?、と思います。

でも、自分が納得して受けるCTスキャン検査(1回7ミリシーベルトくらい)と同じレベルの年間被ばく量でも、同意もなく受けされられるのはいや!、というのも事実。

家族内での納得のないまま、母子だけ自主避難して、家族崩壊、そして避難先でもうまく人間関係を築けず、帰ってくるという悲劇も起きているそうです。(小児科医の話から)

原子力発電所は、日本全国にあります。日本地図に原発のあるところに印をしてみて、自分の住んでいるところから一番近い原発で東京電力福島第一原子力発電所と同じ事故が起きたとして、あなたはどうしますか?

政府が実際に住民を避難をさせているところ以外の大部分を占める年間被ばく量10ミリシーベルト以下を受け入れられますか?

報道をただ鵜呑みに眺めているだけでなく、自分でも考えてみてください。

自分で調べ、理性的に考えることが、福島の人たちのためになるのですから。

かなしい現実

東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、今、福島県民が試されている。

だれに?

人を試すのは、悪魔か、神にしかできないこと。

じゃ、何を試すの?

人間としての、動物とは違う、品性なのかな、と思っている。

「我々は被害者なんだから」と、人間として、大人として超えてはいけないところの、ぎりぎりのところにいる人達がいるのが気になる。

もう、超えてしまった人も中には...。

人間としての品性、これを忘れたら、もう人間として認められない。

これが、昔から言われている『鬼』なんだろうな、と思う今日この頃です。

『鬼』にはなりたくない。

消極的容認

自民党の政治家が口にする言葉。

「私は、原子力発電所の建設、稼働し続けることについては、消極的容認でした。」

言いたいことは、「私個人としては、原発は反対ですが、党の方針なので仕方なく(しぶしぶ)認めていたので、わたし的にはなんの責任もないんですよ。」

これは、私の想像の産物でありません。複数の自民党議員の言葉です。

前にも書きましたが、危うさが予見できたのなら、原子力政策を決定する際に、議会の議決のとき、付帯決議というものができます。

「これを決議するのはいいが、この部分は(私の政治ポリシーとして)絶対に譲れない部分だから、これは守ってね。」

議決案件を議決するときに複数の議員で提案して、議決のときに「これを実行しろよ」と条件として迫れるわけです。

自民党が中央でも、地方でも絶対的なリードをしていたときに、こんなことは党の中で決めればできたこと。

「いや、そのときは長老(今はもう死んでしまっていない)から、おとなしくしていろ。中央(自民党本部)がそういっているんだから、と言われたんで...。」とか、「駆け出しだったんで、発言力がなかったから...。」なんて、程のいい言い訳をしている議員が多いのではないのでしょうか。

じゃ、今はどう発言しているんですか?

原発を常にリードして来た、◯曽根さんが生きているから、大ぴらに避難することができない?

今まで何も考えてこなかったから、今さら言うものを持ち合わせていない?

福島県議会議員は、(現職も、元職も)どうやら後者のようです。

福島県民のみなさん、あなた方は、そんな議員を多く選んでしまったのですよ。

議員を避難する前に、自分たちを省みましょう。

これは、自分たちが引き起こしてしまった結末でもあることを。

首長(市長、県知事)は執行者、議会は(その)決定者なのです。




福島県議会議員選挙の結末

3月11日の大震災、東京電力原子力発電所の事故のため、延び延びになっていた、「福島県議会選挙」の結果が出ようとしている。

結構な数の前職が再選されようとしている。

選挙公報では、「原発事故問題を解決します!」の文字が踊っていました。
特に、私の住んでいる選挙区では、前職は、全て判で押したように全員、「原子力からの復興、除染をやらせます、補償をしっかりさせます!」と。
その他の政策は一言もありませんでした。

それとは対照的に、新人は原発事故の後始末よりも、色々な政策を自分の視点で書いていました。

でも、よく考えて見てください。

前職であった彼、彼女らは前の任期のときに、何らかの原子力発電所の県の考え、予算なりを審議し、『議決』しているのです。
そして、彼らの中には、原子力関係の『特別委員会』のメンバーであった者もいるのですよ。

「いや、でも私は消極的容認派であって、積極的に認めていたわけではないのですよ!」と言う議員もいるでしょうね。

うそです。

議会では、その議事を決定するに当たって、懸念されることなどなどがあれば、付帯意見をつけて議決することが可能です。原子力政策関係の議事録をみて、付帯意見がついてるものがあるのですかね?

考えてなかっただけです。

こんな人達が再選されて、何の審議ができるでしょうかね。
まだ、新人の方がましでしょうね。

こんな人達が再選されて、議会での審議の内容は目に見えています。

「県は、きちんと東京電力に物を言っていたのか!」、「何をみていたんだ!」「賠償をきちんとさせろ!」

馬鹿言ってんじゃ、ありません。

あなたたちが決めたことですよ!

選挙演説で、誰一人、「ごめんなさい」がなかったじゃ、ないですか。

また、4年間が始まります。

いいところを見せるのは、本会議でのお経のような(眠くなるだけの)長々しい、何が論点なのかがわからない質問のときと、県の職員を叱り飛ばしているときと、職員から情報をもらって、要望したような顔をして事業が通ったときだけ。

だれか、「私たちが通した原子力政策のためにこんなことになってすみませんでした。」と言っていた県議会議員を知っていたら教えてください。

「あなたは勇気がある。」(考えを持っているかは別として)と褒めたいから。

学者の覚悟

東京電力福島第一原子力発電所の事故後、原子力を推進してきた学者先生たちは、誰一人として謝ろうとしないことを公の場で発言してくれた学者さんに、今日出会えた。

前にも書いたけど、御用学者さんたちは、『原子力政策は、(今も)間違っていない。』と言い切っている。
核分裂反応すら制御出来ないにもかかわらず、事象だけを利用する技術で、『使っている』気分になっている方々、今の気分はいかがでしょうか。

科学的に仕組みを解明するのと、使えるのは別問題なのですが、原子力の場合、ごっちゃになっているような気がしていたのですが、これが明らかになったのが、今回の原発事故です。

未だに熱としてしかエネルギーを取り出せない、未熟な技術であるにもかかわらず、実験レベルを飛び出してしまった学問。
原子力発電所に抱いていたイメージは、巨大な実験プラント。小規模な実験なのであれば、手に負えなくなっても被害は最小限になる。
実験室を飛び出して、開放系で実験を始めてしまったことに対して、そして、手に負えない事態になってしまっても、学者先生達は謝らない。
加えて、無責任な発言を繰り返す。だれもこの事態や、事態の収集に関して正確な発言を出来ないにもかかわらず、テレビや新聞で適当な発言を繰り返す。

それは取りも直さず、核というものに関して『理論レベル』での理解で『実用』してしまったこと。これが今回の『事故』の全て。
けれど、推進した学者先生は謝らない。
今日は、この思いをはっきりと発言してくれた学者先生がいたので、気分がいい。

日本大学工学部で行われた公開シンポジウムで。

つくばみらい市の事業仕分け

久々の事業仕分けです。一年に一度か二度の仕分けなので、まるで七夕のよう。昨年は、龍ヶ崎市と四街道市の2市で仕分けをしましたが、今年はここ、つくばみらい市が始めての仕分けとなります。
実は、突然の異動内示があり、異動の準備などをしていたこともあり、資料の読み込みができるかどうか不安でしたが、お願いした追加資料も含め、前日の夜までになんとか終わりました。
お願いした追加資料を読み込まなかったら、これほど失礼なことはない。
コーディネーターは、「必殺!仕分け人」の荒井さん。元高島市副市長の“熱い”山内さんも一緒とあっては、もう、頑張るしかない?
「必殺!仕分け人」の皆さんを始め、仕分け人は、みな理論的だけど、ハートの熱さも一級品。「どうしたら、この市が良くなるか!」、を意識して、それだけを考えて仕分けをしているんです。
一方の「つくばみらい市」は、市長さんも忙しい中、4事業を傍聴し、副市長に至っては、市長公室の事業の説明者の一員となられたのには、「むむっ、この市は本気だな。」と思いました。担当課である企画政策課の態度も真摯で、終わってからの控え室で仕分け人一同、「良かったね〜」と異口同音。
今年最初で最後の仕分けが良いところに当って、私も成仏できる(?)ってものです。
仕分け作業で、コーディネーター、仕分け人ともに意識しながら進めたのは、「コミュニティの醸成」。
これはつくばみらい市の総合計画の根幹をなす部分です。しかしながら、これを意識しながら仕事を進めている部署は残念ながら少ないのが現状でした。これを強力に引っ張る牽引役とならなければならない部署の一つにその意識が少なく、このままでは、つくばみらい市の中心市街地になるであろう、みらい平に既に移住している6千人と、これから移住してくるであろう1万人の計1万6千人の新住民が、もともと住んでいた市民4万人と融合することはおぼつかないと思われたので、これでもか!と、コミュニティの醸成を意識づける議論にもっていきました。
ちょっと強引だったかもしれませんが、つくばみらい市のこれからの肝になる部分です。(だから、荒井さんが最後に私にコメントを振ってくれたのかな。)
つくばみらい市のこれからの発展を心からお祈りします。頑張れ!
週明けからは、私もいきなり発令された部署で清々しく仕事ができるかな?
頑張ります!
つくばみらい市を担当した仕分け人の皆さん、構想日本の森山さん、お世話になりました。ありがとうございました。

議員選挙を考える

地方議員選挙のことです。

東日本大震災の被災地では4月に行われるはずだった選挙がこれから佳境に入ります。

市町村長、市町村議会議員。

市町村長選挙は盛り上がっているようですが、議員選挙はどこも盛り上がっていないようです。

候補者はみな一様に、「復興」をお題目の様に唱えていませんか?

でも、肝心なその内容を話している候補者はいますか?

もし、いたとしてもお金を使うことばかり話してませんか?

耳障りの良いことばかり話してませんか?

「何が言いたいんだ!議員なんて誰だっていいだろ?首長さえちゃんと選んでりゃいいんだよ。」

間違いです。

前にも書きましたが、「首長は執行者(仕事をする人)、議会は決定者」なのです。

きちんとした考えを持った人を議員にしないと、自分に都合の良い、自分の地域に有利な事業をしてもらいために首長に擦り寄る。

首長は自分の政策、考えを議会に通してもらいたいから、議員と持ちつ持たれつの関係を築こうとする。

ここなんです。この悪循環になってしまうので、議員はきちんとした人を選ばなきゃならないんです。

なんてったって、議会が決定しないと首長は仕事ができないんですから。

そして、自分たちが決めたことがきちんと実行されているか、検証できる議員でなくてはなりません。

細かいことばかりつついて、「チェックしてる」ことをアピールしているようでは『市民派』と言う言葉も泣きます。

私が片足突っ込んでいる事業仕分けは、本当は議員が、議会としてしなければならないことなんです。

(詳しくは、以前書いた「事業仕分けこそ不要」をご覧ください。)

首長に「事業仕分けをすべき!」なんて議会で力説しているのは…。

これから議員選挙がある地域の皆さん、しっかり考えてください。

原子力発電を推進する理由

何で原子力発電にしがみつくんだろう。

1 原子力発電は他の発電よりコストが安い?
2 昼夜、季節を問わず発電できる?(水力、風力、太陽光の各発電には無理?)
3 再処理した燃料を半永久的に使える?(資源のない日本にピッタリ?)

これらは本当のことでしょうか?

1 発電コストは、メンテ費用、使用しなくなった発電所の解体・後始末まで含めると割高。
  (原子力政策を進めてきた過去の政府や電力会社はここまで費用にいれてなかった。故意に?)
2 個々の自然発電では昼夜、季節を問わずに発電することは無理なのはその通り。
  火力と各自然利用の発電を組み合わせるとどうなのか?
3 再処理したプルトニウムがたまりすぎて、フランスに預かってもらってるだけでも核爆弾何発分?
  その量を発電で使いきれる目処はあるの?
  (理論的には発電に使えば使うほどプルトニウムが増えるって宣伝してませんでしたっけ?)

根拠を持った指摘は、河野太郎氏のWebページでどうぞ。

一度走り始めた政策は止まらない。

それよりも、なによりも、原子力発電の、産業としての裾野はかなり広い。

火力や、水力、風力、太陽光などの各発電に比べ、各業種にわたりものすごく広い産業がかかわっている。

それとともに、『御用学者』もかなり多い。(今日、テレビ朝日のニュースステーションに出ていた学者先生も、最後まで「原子力政策は間違っていない。あれは不幸な『事故(アクシデント)』の一つにすぎない」、と言い切ってました。

今でも、人間にコントロールできる代物だとでも思っているのでしょうか?
うぬぼれといっては、言い過ぎでしょうか。

原子力発電は、「科学の粋」を集めた発電とはいっていますが、結局は火力発電の域を出ていないと思うのですが...。

核燃料のエネルギーとしての熱を取り出し、水を沸騰させ、蒸気の力でタービンを回し、と産業革命当時とあまり変わっていないと思っているのですが、言い過ぎでしょうか?

太陽光発電は19〜20世紀の発見、発明の一つ、半導体(デバイス)を使っている分、こちらの方が「科学の粋」?

原子力発電は、高コストの建設費、高いメンテ費用、ありつける職(学者先生)を通して、『恩恵に浴している』方々が多いので、『やめられない、止まらない』状況に入り込んでいるのでは?

もうそろそろ、日本が本気を出して「技術の力」で、ロスの少ない送電技術も含めた新しい発電システムを開発するときなのではないでしょうか。

高コスト、何十年たっても制御技術の進歩が見えない原子力発電は過去の産物として、切れない腐れ縁の産業構造の転換を含めた、エネルギー政策の転換を図るときなのではないでしょうか。



カブのオイル、どうしてます?

やっと、カブで出歩く余裕が出てきた今日この頃、忘れていた夏のメンテの重要性を思い知らされました。

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